「剣道の理念」
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である
[昭和50年 (財)全日本剣道連盟]
《「剣道の理念」が制定された時代背景》
大東亜戦争の敗戦後まもなく、GHQの占領政策によって剣道は戦争遂行に加担する危険なものとして全面禁止されてしまいました。
占領中、当時の剣道関係者の苦肉の策により、武道的な性格を排除してポイントを競い合う「撓(しない)競技」というスポーツが生み出されました。
昭和27年にGHQの占領政策が解かれると、全日本剣道連盟が発足、2年後には全日本撓競技連盟と合併し、ようやく剣道は復活したのですが、撓競技のスポーツ的要素が色濃く残り、以後約20年の間に、剣道は全国的に試合偏重・勝利至上主義の「当てっこ剣道」と揶揄されるようになり、武道としての剣道の精神の伝承が危ぶまれる事態になりました。
全剣連は、この事態を憂慮して、剣道並びにこれをおこなう人びとの健全な成長と発展を願い、どういう意義・目的によって剣道の修行をおこなうべきなのかということをすべての剣道人に対して明らかにしようと、当時の高名な先生方の叡智を結集して「剣道の理念」を生み出したのです。
《理念の解釈について》
どんなに立派な指導理念も、その中に込められている思いを読み取ることがなければ、残念ながら空文となってしまうものです。
昇段審査の学科試験では、「剣道の理念」や「剣道修錬の心構え」について書かせることがありますが、もしかすると作文のテクニックだけで、これらのことを考えるのは試験の時だけではないでしょうか。日本剣道形についてもしかりで、六・七段の剣道形審査を拝見しても、日頃の修錬に剣道形を取り入れていないのは一目瞭然という残念な受審者もちらほらいます。
「剣道の理念」について「剣道の技術を会得することにより、立派な人間になることができる」という短絡的な解釈をするならば、他のスポーツでも上達すれば人間形成できるわけです。最近では、剣道を遊戯化したスポーツチャンバラというのも流行っていて、剣道と同じように礼儀も教えているというのですから、「剣道の特性」とは何なのか、ということを剣道人は真剣に考え直す必要があります。
そこで、「剣道の理念」を深く読み取るため、同時に制定された「剣道修錬の心構え」を考察してみましょう。
「剣道修錬の心構え」
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して
旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて
礼節をとうとび
信義を重んじ
誠を尽くして
常に自己の修養に努め
以って国家社会を愛し
広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである
前段の″剣道を正しく真剣に学び 心身を錬磨して 旺盛なる気力を養い″の部分は、「剣の理法の修錬」であり、運動的な部分といえるでしょう。
「剣道は武道であって、他のスポーツとは重みが違いますよ」というところは、「剣道の特性を通じて」以降となります。
″礼節をとうとび 信義を重んじ 誠を尽くして 常に自己の修養に努め″
礼節とは…(礼儀と節度)
剣道では、礼儀を重んじ、礼を失する行いは厳しく戒められますが、形式だけの礼儀は虚礼といわれ、また礼も度が過ぎれば無礼といわれます。礼は節度を持って行うべきものです。
信義とは…(いつわったりあざむいたりせず、真実で正しい道を守ること。)
誠とは…(うそのない心。武士道において至高の徳の1つとされ、侍の心髄ともいえる徳である。)
修養とは…(知識を高め、品性を磨き、自己の人格形成に努めること。)
社会生活において正しい道を守ることは当然のことですが、剣道でも相手をごまかして打とうとせず、素直で正しい稽古をすることです。
スポーツの競技によっては「どんな手を使ってでも、とにかく勝てばよい」という考え方があるようですが、剣道では、勝つことよりも正しい剣道を行うことを重んじるのです。
しかし実際のところは、勝ったか負けたか、強いか弱いかばかりを争っているのが剣道界の現状であり、〝誠を尽くして常に自己の修養に努め″という自身の人間形成を無視して、相手に対して、打ったか打たれたか、ということばかりになっているのではないでしょうか。
試合でも、審判がどうとかこうとか、結果ばかりを考えてしまうのではなく、自分はどうであるかに軸を置くことです。
ここまでは「個人としての人間形成」にあたることで、「個人形成」とは当然ながら単に試合が強くなるということではありません。
″以って国家社会を愛し 広く人類の平和繁栄に寄与せんとするものである″の部分は「社会性をもった人間の形成(社会形成)」となります。
この後段部分では、剣道を修行することが「人類の平和繁栄に寄与せんとする」ことに繋がっていくのですから、とても壮大なテーマになってきます。
しかし、「社会形成」といっても、何も政治家や偉い人たちだけが、「社会形成」をするのではありません。
「一隅を照らすものは国の宝なり」といわれるように、私たち一人ひとりが誠を尽くして常に自己の修養に努めることで世の中の役に立つことができるはずです。
このように「剣道の理念」における「人間形成の道」は、自身の「個人形成」だけではなく、さらには「社会形成」にもつなげるという大目的を持っています。
「誠を尽くして人に接すれば、心を動かさないものはこの世にない。
真心を十分に発揮しようと思い努力することこそが人の道である。」(吉田松陰)
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